源 顕清(みなもと の あききよ、生没年未詳)は、平安時代後期の武将。筑前守源仲宗の次男。兄弟に惟清、仲清、光清らがあり、子に宗清(村上蔵人)、定国、業国、盛国、養子に為国がある。白河院蔵人。村上顕清とも記される。兄弟らと共に白河院蔵人を務め院昇殿者となっていたが、嘉保元年(1094年)8月に兄惟清が院を呪詛したとしてこれに連座し失脚、越前国への配流が言い渡された(『中右記』同年8月17日条)。なお『尊卑分脈』では配流先を信濃国とし、甥盛清の子為国を養子として信濃村上氏の嫡流を継承させたとあるが、同系図には混乱がみられ詳細は不明。
源 顕清(みなもと の あききよ、生没年未詳)は、平安時代後期の武将。筑前守源仲宗の次男。兄弟に惟清、仲清、光清らがあり、子に宗清(村上蔵人)、定国、業国、盛国、養子に為国がある。白河院蔵人。村上顕清とも記される。兄弟らと共に白河院蔵人を務め院昇殿者となっていたが、嘉保元年(1094年)8月に兄惟清が院を呪詛したとしてこれに連座し失脚、越前国への配流が言い渡された(『中右記』同年......