源 頼遠(みなもと の よりとお)は、平安時代中期の武将。源頼親の三男。柳瀬氏を名乗ったとも。陸奥石川氏の祖。父頼親の土佐配流の原因となった興福寺との合戦に加わらなかったため、処分を受けることはなかった。永承6年(1051年)、安倍頼良が乱を起こすと(前九年の役)、源頼義に従い陸奥に赴いて戦う。康平5年(1062年)、安倍氏の重要な拠点である厨川柵の攻略の際に戦死。兵の指揮は次男の有光が引き継ぎ戦功を挙げた。戦功により陸奥仙道を下賜された有光は、岩峯寺を建てて父を葬った。また、末子有遠は矢吹氏(屋葺氏)を名乗ったとある。
源 頼遠(みなもと の よりとお)は、平安時代中期の武将。源頼親の三男。柳瀬氏を名乗ったとも。陸奥石川氏の祖。父頼親の土佐配流の原因となった興福寺との合戦に加わらなかったため、処分を受けることはなかった。永承6年(1051年)、安倍頼良が乱を起こすと(前九年の役)、源頼義に従い陸奥に赴いて戦う。康平5年(1062年)、安倍氏の重要な拠点である厨川柵の攻略の際に戦死。兵の指揮は次男......