源 兼澄(みなもと の かねずみ、生没年不詳)は平安時代中期の貴族、歌人。光孝源氏、鎮守府将軍・源信孝の子で、祖父は同じく歌人して活躍した源公忠。官位は正五位下・加賀介。名は兼隆とも表記される。東宮帯刀を経て、五位蔵人に補任される。一条天皇の御世にて陪膳を務め、永延2年(988年)時に蔵人・左衛門尉・検非違使であった。右馬允・式部丞・若狭守・加賀守・介を歴任して正五位下に至った。歌人として活躍し、長保5年(1003年)5月に『藤原道長家歌合』に出詠。寛弘9年(1012年)の大嘗会にて和歌を詠進する。『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に11首が入り、周囲の歌人と......
源 兼澄(みなもと の かねずみ、生没年不詳)は平安時代中期の貴族、歌人。光孝源氏、鎮守府将軍・源信孝の子で、祖父は同じく歌人して活躍した源公忠。官位は正五位下・加賀介。名は兼隆とも表記される。東宮帯刀を経て、五位蔵人に補任される。一条天皇の御世にて陪膳を務め、永延2年(988年)時に蔵人・左衛門尉・検非違使であった。右馬允・式部丞・若狭守・加賀守・介を歴任して正五位下に至った。......