浅岡 孫助(あさおか まごすけ)は、福岡藩右筆頭取。江戸時代中期、宝暦・明和期に福岡藩の記録仕法改革をすすめた。別名、孫介、団右衛門、市八、正勢。延享年中(1744年 - 1748年)、3人仕着代・役料銀50目を受け、御右筆所見習であったことが知られる。宝暦年中(1751年-1764年)に右筆中頭取(4人扶持15石)、のちに右筆頭取(6人扶持20石)に任じられ、宝暦・明和期の記録仕法改革を主導した。宝暦12年(1762年)に「続年中式」を編纂、御勤筋(将軍から知行を与えられた武士としての黒田家が対外的に遂行する事項)の定格を集成し、明和元年(1764年)に......
浅岡 孫助(あさおか まごすけ)は、福岡藩右筆頭取。江戸時代中期、宝暦・明和期に福岡藩の記録仕法改革をすすめた。別名、孫介、団右衛門、市八、正勢。延享年中(1744年 - 1748年)、3人仕着代・役料銀50目を受け、御右筆所見習であったことが知られる。宝暦年中(1751年-1764年)に右筆中頭取(4人扶持15石)、のちに右筆頭取(6人扶持20石)に任じられ、宝暦・明和期の記録......