水野 忠増(みずの ただます、寛永2年(1625年) - 元禄7年7月6日(1694年8月26日))は江戸時代の旗本。信濃国松本藩初代藩主水野忠清の四男。母は側室。2代藩主水野忠職の弟。妻は土屋利直の娘。幼名は長吉、通称は権兵衛。官位は従五位下周防守。寛永18年(1641年)徳川家綱附きの小姓となる。慶安3年(1650年)には西の丸の徒頭に転任し廩米500俵を与えられ、儀式の際に布衣(無紋の狩衣)の着用を許される。明暦3年(1657年)小姓組番頭となり従五位下に任官し周防守を名乗る。万治2年(1659年)に兄の忠職から俵米5,000石を分知され(幕府の廩米......
水野 忠増(みずの ただます、寛永2年(1625年) - 元禄7年7月6日(1694年8月26日))は江戸時代の旗本。信濃国松本藩初代藩主水野忠清の四男。母は側室。2代藩主水野忠職の弟。妻は土屋利直の娘。幼名は長吉、通称は権兵衛。官位は従五位下周防守。寛永18年(1641年)徳川家綱附きの小姓となる。慶安3年(1650年)には西の丸の徒頭に転任し廩米500俵を与えられ、儀式の際に......