橘 正通(たちばな の まさみち、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人、漢詩人。右大臣・橘氏公の玄孫である大舎人寮|大舎人頭・橘実利の子。官位は正四位|正四位下・宮内卿。大学寮にて学び、源順に師事する。加賀国|加賀掾・宮内少丞を歴任。具平親王の侍読を務め、門下に紀斉名らを育てた。『本朝神仙伝』によると、晩年は高麗へと渡ったという。天禄3年(972年)の「女四宮歌合」などへの出詠が知られ、『詞花和歌集』『本朝文粋』『類聚句題抄』『善秀才宅詩合』などにその詩作が残っている。
橘 正通(たちばな の まさみち、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人、漢詩人。右大臣・橘氏公の玄孫である大舎人寮|大舎人頭・橘実利の子。官位は正四位|正四位下・宮内卿。大学寮にて学び、源順に師事する。加賀国|加賀掾・宮内少丞を歴任。具平親王の侍読を務め、門下に紀斉名らを育てた。『本朝神仙伝』によると、晩年は高麗へと渡ったという。天禄3年(972年)の「女四宮歌合」などへの出詠が知......