松平 直哉(まつだいら なおとし)は、出雲母里藩の第10代(最後)の藩主。直政系越前松平家母里藩分家10代。嘉永元年(1848年)2月29日、第9代藩主・松平直温の長男として生まれる。安政3年(1856年)に父が死去したため家督を継いだ。元治元年(1864年)の第1次長州征伐に藩は消極的な立場をとった。後に幕府に懇願して10万石の格式を許されている。明治2年(1869年)6月25日、版籍奉還により母里藩知事に任じられ、明治3年(1870年)の藩政改革では士族の帰農政策を推進したが失敗した。明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県で藩知事を免職されて東京へ......
松平 直哉(まつだいら なおとし)は、出雲母里藩の第10代(最後)の藩主。直政系越前松平家母里藩分家10代。嘉永元年(1848年)2月29日、第9代藩主・松平直温の長男として生まれる。安政3年(1856年)に父が死去したため家督を継いだ。元治元年(1864年)の第1次長州征伐に藩は消極的な立場をとった。後に幕府に懇願して10万石の格式を許されている。明治2年(1869年)6月25......