朝倉 高景(あさくら たかかげ)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将。越前朝倉氏第2代当主。幼名を彦三郎といい(彦四郎とする史料もある)、元服後は正景と名乗っていた。高景は、父・朝倉広景同様、足利氏に与して斯波氏の被官人的立場であった。文和4年(1355年)2月15日の東寺南大門での合戦において、南朝側の3万の大軍を打ち破った功により、足利尊氏から、その母衣に朝倉弾正左衛門尉高景と書かれ、尊氏の偏諱を賜ったとされ(尊氏は元々高氏と名乗っていた)、『朝倉始末記』では、この時から、遠江守高景と名乗るようになったとする。ただし、この時に高景は南朝側に属して尊......
朝倉 高景(あさくら たかかげ)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将。越前朝倉氏第2代当主。幼名を彦三郎といい(彦四郎とする史料もある)、元服後は正景と名乗っていた。高景は、父・朝倉広景同様、足利氏に与して斯波氏の被官人的立場であった。文和4年(1355年)2月15日の東寺南大門での合戦において、南朝側の3万の大軍を打ち破った功により、足利尊氏から、その母衣に朝倉弾正左衛門尉......