服部 持法(はっとり じほう、生没年不明)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍した伊賀国の武士、悪党。通称は右衛門太郎。諱は不明。持法は入道号。また道秀とも号する。服部氏は伊賀国阿拝郡服部郷(現三重県伊賀市)を拠点とする有力御家人であり、阿拝郡・山田郡など北伊賀を支配下に置いていた。14世紀初頭より、同国名張郡の東大寺領黒田荘で悪党が蜂起するが、東大寺の依頼を受けた六波羅探題が鎮圧にあたるも果たせなかった。六波羅探題は嘉暦2年(1327年)伊賀守護代平常茂と服部持法に覚舜・道願ら悪党の捕縛を命ずる「厳密之沙汰」を下した。しかし悪党から賄賂を受けていた......
服部 持法(はっとり じほう、生没年不明)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍した伊賀国の武士、悪党。通称は右衛門太郎。諱は不明。持法は入道号。また道秀とも号する。服部氏は伊賀国阿拝郡服部郷(現三重県伊賀市)を拠点とする有力御家人であり、阿拝郡・山田郡など北伊賀を支配下に置いていた。14世紀初頭より、同国名張郡の東大寺領黒田荘で悪党が蜂起するが、東大寺の依頼を受けた六波羅探......