於大の方(おだいのかた、享禄元年(1528年) - 慶長7年8月28日 (旧暦)|8月28日(1602年10月13日))は、戦国時代 (日本)|戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。松平広忠の正室で、徳川家康の母。晩年は伝通院と称した。実名は「大」、または「太」「たい」。なお、嘉永3年(1850年)10月29日に従一位の贈位があり、その位記では、諱を「大子」としている。
於大の方(おだいのかた、享禄元年(1528年) - 慶長7年8月28日 (旧暦)|8月28日(1602年10月13日))は、戦国時代 (日本)|戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。松平広忠の正室で、徳川家康の母。晩年は伝通院と称した。実名は「大」、または「太」「たい」。なお、嘉永3年(1850年)10月29日に従一位の贈位があり、その位記では、諱を「大子」としている。