戸田 忠恕(とだ ただゆき、ただくみ、ただひろとも)は、江戸時代末期(幕末)の大名。下野国宇都宮藩第6代藩主。戸田氏25世孫にして田原戸田家14代当主。田原戸田家の嫡流。宇都宮藩戸田家12代。4代藩主戸田忠温の六男で5代藩主戸田忠明の弟。正室は戸田光則(松平光則)の娘。養子に忠友。安政3年(1856年)、兄・忠明の死で跡を継ぎ、従五位下越前守に任官した。幼少だったために家老の間瀬和三郎(後の戸田忠至)や県勇記の補佐を受け、忠至の活躍もあって歴代天皇陵修理を建議して山陵奉行の任務に当たり、主に家老2人が中心となって京都、大和、河内、近江各地の山陵を調査し、修......
戸田 忠恕(とだ ただゆき、ただくみ、ただひろとも)は、江戸時代末期(幕末)の大名。下野国宇都宮藩第6代藩主。戸田氏25世孫にして田原戸田家14代当主。田原戸田家の嫡流。宇都宮藩戸田家12代。4代藩主戸田忠温の六男で5代藩主戸田忠明の弟。正室は戸田光則(松平光則)の娘。養子に忠友。安政3年(1856年)、兄・忠明の死で跡を継ぎ、従五位下越前守に任官した。幼少だったために家老の間瀬......