得能 通綱(とくのう みちつな、生年不明延元2年/建武4年3月6日(1337年4月7日))は、鎌倉時代から南北朝時代の武将。通称は又太郎。備後守。父は得能通村。子に信縄、通方、通弘。得能氏は伊予の河野氏の一族で、桑村郡得能荘を所領としていた。元弘3年(1333年)閏2月11日、鎌倉幕府の打倒を志す後醍醐天皇に味方し、同じ河野一族である土居通増・忽那重清・祝安親らと共に挙兵し、伊予守護宇都宮貞宗の府中城を攻略。次いで、反幕勢力討伐のため伊予へ進軍した長門探題北条時直を、石井浜で敗走させた。(『三島家文書 五五〇』)同年3月1日には、喜多郡にある宇都宮貞泰の拠......
得能 通綱(とくのう みちつな、生年不明延元2年/建武4年3月6日(1337年4月7日))は、鎌倉時代から南北朝時代の武将。通称は又太郎。備後守。父は得能通村。子に信縄、通方、通弘。得能氏は伊予の河野氏の一族で、桑村郡得能荘を所領としていた。元弘3年(1333年)閏2月11日、鎌倉幕府の打倒を志す後醍醐天皇に味方し、同じ河野一族である土居通増・忽那重清・祝安親らと共に挙兵し、伊予......