後藤 基綱(ごとう もとつな、養和元年(1181年) - 康元元年11月28日(1256年12月16日))は、鎌倉時代前期の武士。藤原秀郷の系譜を引く京武者後藤基清の子。ただしその活躍は武士としてよりも、文官に近い実務官僚としてであり、また歌人としても有名で、『新勅撰和歌集』には2首、続後撰集には3首、続古今集には1首、続拾遺集には1首、新続古今集には1首選ばれている。『十訓抄』の著者説もある。後藤基政、後藤基隆の父。
後藤 基綱(ごとう もとつな、養和元年(1181年) - 康元元年11月28日(1256年12月16日))は、鎌倉時代前期の武士。藤原秀郷の系譜を引く京武者後藤基清の子。ただしその活躍は武士としてよりも、文官に近い実務官僚としてであり、また歌人としても有名で、『新勅撰和歌集』には2首、続後撰集には3首、続古今集には1首、続拾遺集には1首、新続古今集には1首選ばれている。『十訓抄』......