寂超(じゃくちょう、生没年不詳)は、平安時代末期の官人・歌人。俗名は藤原 為経(ふじわら の ためつね)。藤原北家長良流。丹後守藤原為忠の子。初名は盛忠を名乗った。従五位上、長門守。蔵人・長門守・皇后宮少進を歴任するが、康治2年(1143年)5月10日に出家し大原に隠棲する。法名を寂超と称し、同じく出家した兄弟の寂念・寂然とともに大原三寂・常盤三寂と呼ばれた。和歌に優れ私撰集に『後葉和歌集』があり、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に15首が入首。『歌仙落書』の中に、弟の寂然とともに秀歌例として三首が掲げられ「風体さびたるさまなるべし。明石の浦の霧がくれに海人......
寂超(じゃくちょう、生没年不詳)は、平安時代末期の官人・歌人。俗名は藤原 為経(ふじわら の ためつね)。藤原北家長良流。丹後守藤原為忠の子。初名は盛忠を名乗った。従五位上、長門守。蔵人・長門守・皇后宮少進を歴任するが、康治2年(1143年)5月10日に出家し大原に隠棲する。法名を寂超と称し、同じく出家した兄弟の寂念・寂然とともに大原三寂・常盤三寂と呼ばれた。和歌に優れ私撰集に『......