安野 豊道(やすの の とよみち、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。『続日本後紀』の編者として知られる。嘉祥2年(849年)渤海使の帰国において勅書と太政官牒の伝達ために鴻臚館に派遣された。この当時の官位は従七位下・少内記。この時、正六位上・少外記、下総介に任ぜられたがその後の消息は不明。
安野 豊道(やすの の とよみち、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。『続日本後紀』の編者として知られる。嘉祥2年(849年)渤海使の帰国において勅書と太政官牒の伝達ために鴻臚館に派遣された。この当時の官位は従七位下・少内記。この時、正六位上・少外記、下総介に任ぜられたがその後の消息は不明。