宇喜多 宗家(うきた むねいえ、生没年不詳)は、室町時代後期の人物。修理進。代々「家」の字を通字とする宇喜多氏の始祖ではないかと思われる人物。三条信宗(傍流であるので「三条」の姓では無かった可能性も)の子。妻は児島高家の娘。宇喜多久家は実子、或いは児島信徳(実在したか怪しい人物であるが実在したならば妻の兄か弟にあたる人物であると思われる)の息子を養子縁組したのではないかと言われている。文明2年(1470年)に、赤松政則の命で宇喜多宗家が西大寺に土地を寄進したという記録が西大寺文書に残されているので、赤松氏の被官であったと思われる。かなり不明な点が多いが、系......
宇喜多 宗家(うきた むねいえ、生没年不詳)は、室町時代後期の人物。修理進。代々「家」の字を通字とする宇喜多氏の始祖ではないかと思われる人物。三条信宗(傍流であるので「三条」の姓では無かった可能性も)の子。妻は児島高家の娘。宇喜多久家は実子、或いは児島信徳(実在したか怪しい人物であるが実在したならば妻の兄か弟にあたる人物であると思われる)の息子を養子縁組したのではないかと言われて......