多田 頼盛(ただ よりもり、生没年不詳)あるいは源 頼盛(みなもと の よりもり)は、平安時代末期の武将。摂津源氏(多田源氏)源行国の長男。弟に源国章・多田頼憲・源行智・源仲国らがあり、子に多田行綱・多田知実・能瀬高頼・多田高実らがある。従五位下、蔵人、摂津守。平安中期に源満仲によって拓かれた多田荘を継承した多田源氏の7代目惣領であったが、弟の頼憲とは多田荘の相続を巡り対立した。当時、多田源氏が代々近侍してきた摂関家は、藤原忠通・頼長兄弟の対立により分裂状態にあった為、弟の頼憲が頼長に仕えたのに対し頼盛は忠通に仕えた。そして、仁平3年(1153年)に父行国......
多田 頼盛(ただ よりもり、生没年不詳)あるいは源 頼盛(みなもと の よりもり)は、平安時代末期の武将。摂津源氏(多田源氏)源行国の長男。弟に源国章・多田頼憲・源行智・源仲国らがあり、子に多田行綱・多田知実・能瀬高頼・多田高実らがある。従五位下、蔵人、摂津守。平安中期に源満仲によって拓かれた多田荘を継承した多田源氏の7代目惣領であったが、弟の頼憲とは多田荘の相続を巡り対立した。......