呉北渚(ご ほくしょ、 寛政10年 10月11日(1798年11月18日) – 文久3年 9月4日(1863年10月16日))は、江戸時代後期の日本の書家・篆刻家である。頼山陽にその人柄と書・篆刻を三絶と称賛された。名は篇策または策(篇は譲り字)、字を成章・子方・文英・君易・易矦・元馭、号は北渚の他に烏舟・藻亭。斎室名に鳴葭堂・習静斎・自怡堂・暢襟室がある。通称又之助のちに備前屋又兵衛を襲名。浪華北浜の人。
呉北渚(ご ほくしょ、 寛政10年 10月11日(1798年11月18日) – 文久3年 9月4日(1863年10月16日))は、江戸時代後期の日本の書家・篆刻家である。頼山陽にその人柄と書・篆刻を三絶と称賛された。名は篇策または策(篇は譲り字)、字を成章・子方・文英・君易・易矦・元馭、号は北渚の他に烏舟・藻亭。斎室名に鳴葭堂・習静斎・自怡堂・暢襟室がある。通称又之助のちに備前屋......