吉良 持助(きら もちすけ、生没年不詳)は室町時代の武将である。吉良持長の子。東条城主。後期東条吉良氏(下吉良)4代目。子は吉良義藤、僧籍に入った等康、端東がいる。弟は奥州吉良氏の養子となった吉良頼高。長禄2年(1458年)4月、足利政知が、古河公方足利成氏討伐のため、関東へ発向する際、持助も随行することになった。実際は随行することはなかったが、弟である吉良頼高が太田道灌と親交があったため、事前工作に持助の力を借りようとしたらしい。同年12月2日、足利義政に対し、古河公方討伐のための関東出陣について意見書を提出している。内容の詳細は不明だが、関東の情勢につ......
吉良 持助(きら もちすけ、生没年不詳)は室町時代の武将である。吉良持長の子。東条城主。後期東条吉良氏(下吉良)4代目。子は吉良義藤、僧籍に入った等康、端東がいる。弟は奥州吉良氏の養子となった吉良頼高。長禄2年(1458年)4月、足利政知が、古河公方足利成氏討伐のため、関東へ発向する際、持助も随行することになった。実際は随行することはなかったが、弟である吉良頼高が太田道灌と親交が......