六角 政堯(ろっかく まさたか、生年不詳 - 文明3年10月12日(1471年12月2日))は、室町時代の武将、守護大名。近江守護。六角時綱の子。通称は四郎。初名は政高。 叔父の六角久頼が憤死した後、その跡を継いだ従弟・亀寿丸(六角高頼または六角政頼)の後見人を務めたが、長禄2年(1458年)、室町幕府によって亀寿丸は追放され、近江守護に任命され六角氏の当主となった。しかし、2年後の長禄4年(1460年)に守護代伊庭満隆の子を殺害したせいで政堯も廃嫡、家督は亀寿丸に戻された。応仁の乱が勃発すると亀寿丸は西軍についたが、政堯は東軍に招かれて京極勝秀と共に近江......
六角 政堯(ろっかく まさたか、生年不詳 - 文明3年10月12日(1471年12月2日))は、室町時代の武将、守護大名。近江守護。六角時綱の子。通称は四郎。初名は政高。 叔父の六角久頼が憤死した後、その跡を継いだ従弟・亀寿丸(六角高頼または六角政頼)の後見人を務めたが、長禄2年(1458年)、室町幕府によって亀寿丸は追放され、近江守護に任命され六角氏の当主となった。しかし、2年......