八島 時清(やじま とききよ、生没年不詳)は、平安時代末期の武将。清和源氏満政流。父は源義朝の側近として知られる近江守源重成(あるいは左衛門尉源時成)。兄弟に光成、重茂、忠輔、重快らがある。通称は八島冠者、次郎。累代の所領である美濃八島郷を本拠としていたものと考えられる。その動向は詳らかでないが、平家滅亡後の文治元年(1185年)11月、都落ちした源義経・行家一行の船団が嵐により難破した際、その2日後に京に戻り義経らの生存を朝廷に伝えたとある(『吾妻鏡』同年11月20日条)。これが義経と同行していたものなのか、追手に加わっていたものなのかは不明である。
八島 時清(やじま とききよ、生没年不詳)は、平安時代末期の武将。清和源氏満政流。父は源義朝の側近として知られる近江守源重成(あるいは左衛門尉源時成)。兄弟に光成、重茂、忠輔、重快らがある。通称は八島冠者、次郎。累代の所領である美濃八島郷を本拠としていたものと考えられる。その動向は詳らかでないが、平家滅亡後の文治元年(1185年)11月、都落ちした源義経・行家一行の船団が嵐により......