京極 材宗(きょうごく きむね)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。京極政経の子。吉童子丸の父。初めは父より一字を与えられて経秀(つねひで)と名乗っていたが、後に室町幕府第10代将軍足利義材(のちの義稙)から偏諱を賜り改名した。文明17年(1485年)、室町幕府から侍所頭人に任命、多賀高忠を所司代に任命された。この処置は父政経を京極氏当主に復帰させ、従兄の京極高清を追放する目論見があった。しかし、父が配下の所領横領を阻止出来なかったことが将軍足利義材の怒りを買い、家督を高清に代えられると材宗も失脚、明応の政変で義材が廃位されると京極氏復帰を狙った。......
京極 材宗(きょうごく きむね)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。京極政経の子。吉童子丸の父。初めは父より一字を与えられて経秀(つねひで)と名乗っていたが、後に室町幕府第10代将軍足利義材(のちの義稙)から偏諱を賜り改名した。文明17年(1485年)、室町幕府から侍所頭人に任命、多賀高忠を所司代に任命された。この処置は父政経を京極氏当主に復帰させ、従兄の京極高清を追放す......