久留島 通靖(くるしま みちやす、1851年6月13日(嘉永4年5月14日)- 1879年(明治12年)2月23日)は、豊後国森藩の第12代(最後)の藩主。第11代藩主久留島通胤の長男。正室は黒田長元の四女・毛登子(離婚)。子に久留島通寛(みちひろ、児童文学者・久留島武彦の父)。官位は従五位下。伊予守。安政7年(1860年)閏3月11日、父の死去により家督を継いだ。文久3年(1863年)12月26日、従五位下伊予守に叙任する。慶応2年(1866年)2月21日、藩主就任以来一度もお国入りをしていないため、幕府に帰藩を願う。同年5月19日、幕府から江戸警備を命......
久留島 通靖(くるしま みちやす、1851年6月13日(嘉永4年5月14日)- 1879年(明治12年)2月23日)は、豊後国森藩の第12代(最後)の藩主。第11代藩主久留島通胤の長男。正室は黒田長元の四女・毛登子(離婚)。子に久留島通寛(みちひろ、児童文学者・久留島武彦の父)。官位は従五位下。伊予守。安政7年(1860年)閏3月11日、父の死去により家督を継いだ。文久3年(18......