鮎川 清長(あゆかわ きよなが、 生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。受領名は信濃守。父は鮎川藤長。子に盛長。大葉沢城主。揚北衆。鮎川氏は揚北衆と呼ばれる越後国北部の国人で越後岩船郡を領する。享禄3年(1530年)、上条定憲が守護代長尾為景に対して挙兵した上条の乱では、他の揚北衆と共に上条氏側についた。天文8年(1539年)、盟友であった本庄房長と境界上にある下渡島城の支配を巡って対立し、房長の弟の小川長資や色部勝長と共謀して本庄城を攻め、房長を出羽国に敗走させた。長尾為景が没し、長尾景虎が家督を継承すると従属し、第4次川......
鮎川 清長(あゆかわ きよなが、 生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。受領名は信濃守。父は鮎川藤長。子に盛長。大葉沢城主。揚北衆。鮎川氏は揚北衆と呼ばれる越後国北部の国人で越後岩船郡を領する。享禄3年(1530年)、上条定憲が守護代長尾為景に対して挙兵した上条の乱では、他の揚北衆と共に上条氏側についた。天文8年(1539年)、盟友であった本庄房長......