高密公主(こうみつこうしゅ、? - 655年)は、中国の唐の高祖李淵の四女。はじめ琅邪公主に封ぜられ、長孫孝政に降嫁した。のちに段綸に降嫁した。655年、自分の墓を東向きに造り、父の陵墓である献陵を望めるように遺言して没した。のちに段綸とともに昭陵に陪葬された。 段綸と高密公主のあいだの娘として、邳国夫人段蕑壁(617年 - 651年)がいた。
高密公主(こうみつこうしゅ、? - 655年)は、中国の唐の高祖李淵の四女。はじめ琅邪公主に封ぜられ、長孫孝政に降嫁した。のちに段綸に降嫁した。655年、自分の墓を東向きに造り、父の陵墓である献陵を望めるように遺言して没した。のちに段綸とともに昭陵に陪葬された。 段綸と高密公主のあいだの娘として、邳国夫人段蕑壁(617年 - 651年)がいた。