馮 野王(ふう やおう、生没年不詳)は、前漢後期の人物。字は君卿。先祖は上党の人だが杜陵に遷った。秦の馮毋択、馮去疾、馮劫や漢の馮唐は同族である。父は左将軍に至った馮奉世。妹が元帝の後宮に入り、男子(中山王)を産み昭儀となった。博士より詩経を学んだ。父の任子により太子中庶子となり、18歳で長安県令となることを自ら願い出た。宣帝はその志をよしとしたが、丞相魏相が許さなかった。その後、当陽県長、櫟陽県令、夏陽県令と昇進した。元帝の時には隴西太守となり、成績が良かったことから永光2年(紀元前42年)に左馮翊に昇進した。管内の池陽県令は貪欲だったが、馮野王が年少の......
馮 野王(ふう やおう、生没年不詳)は、前漢後期の人物。字は君卿。先祖は上党の人だが杜陵に遷った。秦の馮毋択、馮去疾、馮劫や漢の馮唐は同族である。父は左将軍に至った馮奉世。妹が元帝の後宮に入り、男子(中山王)を産み昭儀となった。博士より詩経を学んだ。父の任子により太子中庶子となり、18歳で長安県令となることを自ら願い出た。宣帝はその志をよしとしたが、丞相魏相が許さなかった。その後......