鬬穀於菟(とう こくおと/とう こうおと、生没年不詳)は中国春秋時代の楚の宰相(令尹)。姓は羋、氏は鬬、諱は穀於菟(穀は乳、於菟は虎)、字は子文。闘伯比の子。清廉で知られ、楚屈指の賢相といわれる。以下、子文の名で記す。闘伯比が鄖公の娘と密通して、子文が生まれた。娘は子文をの中に捨てたが、狩りに出た鄖公が虎に育てられた子文を見つけ、娘が育てることを許したとされる。紀元前664年、令尹に抜擢されると、私財を投じて楚の財政を救った。成王は、貧乏で食いつなげなくなった子文のために何度か俸禄を増やそうとしたが、そのたびに子文が下野し、取り消すと戻ってきたので、遂には......
鬬穀於菟(とう こくおと/とう こうおと、生没年不詳)は中国春秋時代の楚の宰相(令尹)。姓は羋、氏は鬬、諱は穀於菟(穀は乳、於菟は虎)、字は子文。闘伯比の子。清廉で知られ、楚屈指の賢相といわれる。以下、子文の名で記す。闘伯比が鄖公の娘と密通して、子文が生まれた。娘は子文をの中に捨てたが、狩りに出た鄖公が虎に育てられた子文を見つけ、娘が育てることを許したとされる。紀元前664年、令......