鬬椒(とうしょう、 ? - 紀元前605年)は中国春秋時代の楚の将軍。司馬。令尹。荘王に仕えた。姓は羋、氏は鬬、諱は椒、字は子越、または伯棼(伯賁)。子良の子。以下、子越の名で記す。子越が生まれたとき、伯父(子良の兄)の子文は「この子を殺しなさい。姿は虎や熊のようで、声は山犬や狼のようだ。きっと我々若敖氏に害をなすだろう」と言ったが、子良は聞き入れなかった。子文は臨終に際しても、一族を集めて「椒(子越)が政治を執るようになったら、楚から立ち去り、災難のかからぬようにせよ」と遺言し、泣きながら「若敖氏の霊魂は餓えることになるだろう」と言った。紀元前632年の......
鬬椒(とうしょう、 ? - 紀元前605年)は中国春秋時代の楚の将軍。司馬。令尹。荘王に仕えた。姓は羋、氏は鬬、諱は椒、字は子越、または伯棼(伯賁)。子良の子。以下、子越の名で記す。子越が生まれたとき、伯父(子良の兄)の子文は「この子を殺しなさい。姿は虎や熊のようで、声は山犬や狼のようだ。きっと我々若敖氏に害をなすだろう」と言ったが、子良は聞き入れなかった。子文は臨終に際しても、......