間宮 康俊(まみや やすとし、永正15年(1518年) - 天正18年3月29日(1590年5月3日))は戦国時代の武将。武蔵国久良岐郡の笹下城(篠箇城)主。後北条氏の家臣で相模十四騎筆頭とされた間宮氏の当主。歴代相模鎌倉郡玉縄城主で北条五色備えの黄備え隊大将を務める北条綱成・氏繁・氏舜・氏勝等の玉縄北条家の付家老を務めた。官途は豊前守、豊前入道を称す。法名は宗閑。
間宮 康俊(まみや やすとし、永正15年(1518年) - 天正18年3月29日(1590年5月3日))は戦国時代の武将。武蔵国久良岐郡の笹下城(篠箇城)主。後北条氏の家臣で相模十四騎筆頭とされた間宮氏の当主。歴代相模鎌倉郡玉縄城主で北条五色備えの黄備え隊大将を務める北条綱成・氏繁・氏舜・氏勝等の玉縄北条家の付家老を務めた。官途は豊前守、豊前入道を称す。法名は宗閑。