長谷川 正長(はせがわ まさなが)は、戦国時代の武将。駿河国小川城主、一色城主長谷川氏当主、紀伊守。今川義元に仕えていたが、桶狭間の戦いで義元と父元長が戦死すると、今川氏真に仕えたが、永禄13年(1570年)に甲斐の武田信玄に駿河を攻められると遠江に逃れ、三河から進出してきた徳川家康に仕えるようになった。元亀3年(1572年)12月22日の三方ヶ原の戦いに参加、徳川軍が大敗すると父同様、奮戦して討死にした。享年37。墓所は焼津市の信香院。次男の伊兵衛宣次は天正10年(1582年)から家康の小姓を務めると、やがて別家を興したという。その子孫が江戸時代に活躍し......
長谷川 正長(はせがわ まさなが)は、戦国時代の武将。駿河国小川城主、一色城主長谷川氏当主、紀伊守。今川義元に仕えていたが、桶狭間の戦いで義元と父元長が戦死すると、今川氏真に仕えたが、永禄13年(1570年)に甲斐の武田信玄に駿河を攻められると遠江に逃れ、三河から進出してきた徳川家康に仕えるようになった。元亀3年(1572年)12月22日の三方ヶ原の戦いに参加、徳川軍が大敗すると......