酒瀬川 武安(さかせがわ たけやす、? - 天正12年3月24日(1584年5月4日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国島津氏の武将。通称は豊前兵衛(奉膳兵衛とも)。子は同名の豊前兵衛(諱不明、天正15年(1587年)に戦死)。『本藩人物誌』に、「武功抜群の人で忍の上手なり」と記される人物で、敵の城内に忍び入り諜報活動を行う役目を担っている。また、武将としても島津義弘の供をし、永禄9年(1566年)の三ツ山城攻めなどに従軍、特に天正6年(1578年)の耳川の戦いでは、伊地知重政・富山備中守と共に300余の兵で敵の通り道に伏兵し、敵の荷駄隊を襲っ......
酒瀬川 武安(さかせがわ たけやす、? - 天正12年3月24日(1584年5月4日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国島津氏の武将。通称は豊前兵衛(奉膳兵衛とも)。子は同名の豊前兵衛(諱不明、天正15年(1587年)に戦死)。『本藩人物誌』に、「武功抜群の人で忍の上手なり」と記される人物で、敵の城内に忍び入り諜報活動を行う役目を担っている。また、武将としても島津義弘......