趙 汝愚(ちょう じょぐ、? - 1196年)は、南宋前期の宗室。字は子直(しちょく)。北宋の第2代皇帝・太宗(趙光義)の末裔である。南宋の第2代皇帝・孝宗に仕えた。智勇兼備の名士で、内政でも軍事でも多くの手柄を立てて、孝宗から厚い信任を受けた。しかし1194年に孝宗が死去すると、後継者の光宗と対立し、これを皇太后の呉氏(高宗の皇后)と共謀して廃した。その後、寧宗の時代になると、1195年に右丞相に任命された。しかし、韓侘冑と対立し、その讒言を信じた寧宗によって、同年のうちに官位剥奪の上、福州に流され失脚した。その後も韓侘冑によ......
趙 汝愚(ちょう じょぐ、? - 1196年)は、南宋前期の宗室。字は子直(しちょく)。北宋の第2代皇帝・太宗(趙光義)の末裔である。南宋の第2代皇帝・孝宗に仕えた。智勇兼備の名士で、内政でも軍事でも多くの手柄を立てて、孝宗から厚い信任を受けた。しかし1194年に孝宗が死去すると、後継者の光宗と対立し、これを皇太后の呉氏(高宗の皇后)と共謀して廃した。その後、寧宗の時代になると、......