赤池 長任(あかいけ ながとう、 - 没年不明)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥後国相良氏の家臣。受領名は伊豆守。大口城在番の番頭の一人として人吉衆の将及び雑兵1,000名と共に大口城へ入った(東長兄、丸目頼美の3組みと半年毎の交代制)。永禄7年(1564年)、相良氏が伊東氏と結んだために島津氏との関係は悪化し、大口城をめぐって激しい猛攻をかけてくるようになった。長任は堅固に在番するよう命じられていたものの、2月21日に野戦を仕掛けるべく、桑幡新六、岩崎六郎兵衛を先手に騎馬武者65騎、雑兵合わせて300余人で筈ヶ尾に出陣。放火と挑発を行い、出......
赤池 長任(あかいけ ながとう、 - 没年不明)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥後国相良氏の家臣。受領名は伊豆守。大口城在番の番頭の一人として人吉衆の将及び雑兵1,000名と共に大口城へ入った(東長兄、丸目頼美の3組みと半年毎の交代制)。永禄7年(1564年)、相良氏が伊東氏と結んだために島津氏との関係は悪化し、大口城をめぐって激しい猛攻をかけてくるようになった。長......