赤松 政元(あかまつ まさもと、明応9年(1500年)? - 没年不明)は、戦国時代の武将。赤松義村の子という。赤松氏の御一家衆七条殿の当主。上月城主。兄弟に赤松晴政がいる。子に正満、政範、政直、政茂、横山義祐、福原則尚室がいる。受領名は右京大夫。『播州佐用軍記』は「赤松左京太夫政則孫右京太夫政元」と記されている。佐用則答の養子となって、佐用姓を名乗ったとも、赤松姓をそのまま名乗ったともされている。政之と誤って書かれることも少なくない。1557年、武勇に優れていたと伝えられ、上月城に入城し「西播磨殿」と呼ばれていた。また、晴政の弟という説もあるが、孫・正澄......
赤松 政元(あかまつ まさもと、明応9年(1500年)? - 没年不明)は、戦国時代の武将。赤松義村の子という。赤松氏の御一家衆七条殿の当主。上月城主。兄弟に赤松晴政がいる。子に正満、政範、政直、政茂、横山義祐、福原則尚室がいる。受領名は右京大夫。『播州佐用軍記』は「赤松左京太夫政則孫右京太夫政元」と記されている。佐用則答の養子となって、佐用姓を名乗ったとも、赤松姓をそのまま名乗......