衛 覬(えい き、? - 230年)は、中国後漢末期から三国時代の政治家・学者・文化人。字は伯覦。司隷河東郡安邑県(山西省夏県)の人。子は衛瓘・衛寔(字は叔始)。孫は衛恒。曾孫は衛玠。『三国志』魏志21巻に伝がある。若くして頭角を現し曹操に登用され、茂陵令・尚書郎となった。曹操は袁紹と対立すると、荊州の劉表が気がかりであったため、益州の劉璋に使者を送り牽制させようとし、その使者に衛覬を選んた。治書侍御史に任命された衛覬は、長安まで来たところで益州への道が途絶していることを知り、そのまま関中に留まった。また関中の荒廃を見て、荀彧に手紙を送り復興......
衛 覬(えい き、? - 230年)は、中国後漢末期から三国時代の政治家・学者・文化人。字は伯覦。司隷河東郡安邑県(山西省夏県)の人。子は衛瓘・衛寔(字は叔始)。孫は衛恒。曾孫は衛玠。『三国志』魏志21巻に伝がある。若くして頭角を現し曹操に登用され、茂陵令・尚書郎となった。曹操は袁紹と対立すると、荊州の劉表が気がかりであったため、益州の劉璋に使者を送り牽制させようと......