葛山 氏広(かつらやま うじひろ)は、戦国時代の武将。駿河葛山氏当主。伊勢宗瑞(北条早雲)の三男とする説と宗瑞の次男・北条氏時の子(すなわち宗瑞の孫)とする説がある。いずれにしても、後北条氏の一族とされている。駿河国東部の国人領主・葛山氏の養子となって葛山氏の家督を継いだ。宗瑞の側室に葛山氏の娘がいたといわれ、彼女が母だったため葛山氏の養子になった可能性が高いといわれている。大永4年(1524年)正月に家臣関孫九郎に所領を与えているのが初見。葛山氏は今川氏に従属しており、氏広も駿府に屋敷を構え今川氏に出仕していた。天文6年(1537年)、長兄氏綱と今川義元......
葛山 氏広(かつらやま うじひろ)は、戦国時代の武将。駿河葛山氏当主。伊勢宗瑞(北条早雲)の三男とする説と宗瑞の次男・北条氏時の子(すなわち宗瑞の孫)とする説がある。いずれにしても、後北条氏の一族とされている。駿河国東部の国人領主・葛山氏の養子となって葛山氏の家督を継いだ。宗瑞の側室に葛山氏の娘がいたといわれ、彼女が母だったため葛山氏の養子になった可能性が高いといわれている。大永......