菅沼 忠久(すがぬま ただひさ、生年不詳 − 天正10年(1582年))は、戦国時代の武将。菅沼元景の子。都田菅沼氏3代目。通称、次郎右衛門尉。正室は鈴木重時の長女。菅沼忠道は長男。奥三河に版図を拡げる菅沼一族の中で唯一、遠江引佐郡都田に地盤を持っていた。当初は、菅沼氏との連携を大事にしていたようだが、より身近な井伊谷に居を構える井伊氏の被官になったと見られている。永禄11年(1568年)、遠江への侵攻を画策する徳川家康に加担する同族の野田菅沼定盈から今川離反の誘いを受けると、承諾。忠久が、さらに鈴木重時や近藤康用も誘った。後にこの3人が井伊谷三人衆と呼ば......
菅沼 忠久(すがぬま ただひさ、生年不詳 − 天正10年(1582年))は、戦国時代の武将。菅沼元景の子。都田菅沼氏3代目。通称、次郎右衛門尉。正室は鈴木重時の長女。菅沼忠道は長男。奥三河に版図を拡げる菅沼一族の中で唯一、遠江引佐郡都田に地盤を持っていた。当初は、菅沼氏との連携を大事にしていたようだが、より身近な井伊谷に居を構える井伊氏の被官になったと見られている。永禄11年(1......