筒井 順尊(つついじゅんそん、宝徳3年(1451年) - 長享3年7月22日(1489年8月27日))は、室町時代後期から戦国時代前期の武将。大和の国人筒井氏当主。筒井順永の子。成身院順盛、安楽坊順憲、遊佐長直の妻の兄。順賢、順興の父。栄藤。舜覚坊。当時の大和は畠山義就と畠山政長が対立した影響で国人も2派に分かれて抗争していた。筒井氏は政長派に属し、応仁の乱では順尊は父順永と共に義就派の越智家栄、古市澄胤と大和で戦った。しかし、文明8年(1476年)に父が死去、翌年9月に畠山義就が河内に下向して政長派を撃滅・制圧すると越智家栄らも勢いづいて順尊・箸尾為国ら......
筒井 順尊(つついじゅんそん、宝徳3年(1451年) - 長享3年7月22日(1489年8月27日))は、室町時代後期から戦国時代前期の武将。大和の国人筒井氏当主。筒井順永の子。成身院順盛、安楽坊順憲、遊佐長直の妻の兄。順賢、順興の父。栄藤。舜覚坊。当時の大和は畠山義就と畠山政長が対立した影響で国人も2派に分かれて抗争していた。筒井氏は政長派に属し、応仁の乱では順尊は父順永と共に......