石川 貞通(いしかわ さだみち)は、安土桃山時代の武将・大名。天正年間に豊臣秀吉に仕え、山城国検地奉行を務め、慶長4~5年(1599年~1600年)頃に山城国内および丹波国天田郡において1万2000石を領した。関ヶ原の戦いでは西軍に与し、7月に大坂口を守備、その後小野木重勝の指揮下で丹波国田辺城攻めに従軍した。西軍の敗北により改易となり、翌年9月に盛岡藩主南部利直に預けられ、子孫は同藩士として存続した。さたみちCategory:戦国武将Category:織豊政権の大名Category:生没年不詳
石川 貞通(いしかわ さだみち)は、安土桃山時代の武将・大名。天正年間に豊臣秀吉に仕え、山城国検地奉行を務め、慶長4~5年(1599年~1600年)頃に山城国内および丹波国天田郡において1万2000石を領した。関ヶ原の戦いでは西軍に与し、7月に大坂口を守備、その後小野木重勝の指揮下で丹波国田辺城攻めに従軍した。西軍の敗北により改易となり、翌年9月に盛岡藩主南部利直に預けられ、子孫......