石川 政信(いしかわ まさのぶ、弘治2年(1556年) - 元亀3年(1572年)/天正16年(1588年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。南部氏の家臣。父は石川高信、兄に南部信直がいる。室に北信愛娘。子に高殿院(七戸直時室)。天正9年(1581年)に病死した父・高信から津軽郡代を継承し浅瀬石城主・千徳政吉、大光寺城主・大光寺光愛、そして大浦為信(後の津軽為信)の補佐を受け浪岡城を居城に南部氏の津軽地方統治の中心となっていたが、千徳政吉は間もなく病死し、大光寺光愛は為信の讒言により追放され、そして天正16年(1588年)、為信の手により毒殺さ......
石川 政信(いしかわ まさのぶ、弘治2年(1556年) - 元亀3年(1572年)/天正16年(1588年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。南部氏の家臣。父は石川高信、兄に南部信直がいる。室に北信愛娘。子に高殿院(七戸直時室)。天正9年(1581年)に病死した父・高信から津軽郡代を継承し浅瀬石城主・千徳政吉、大光寺城主・大光寺光愛、そして大浦為信(後の津軽為信)の補......