真田 頼昌(さなだ よりまさ、生年不詳 - 大永3年3月15日(1523年3月31日))は、室町時代後期(戦国時代初期)の信濃国の豪族。海野氏庶流の出身とされ、今日では真田氏の祖と推定されている。諱は「頼昌」とされるが、これは後世の江戸時代の元禄9年(1696年)成立の「良泉寺矢沢氏系図」が初出である。戦国期真田氏当主の通字は「綱」であることが指摘されるため、問題点が残される。官途名は右馬介、法名は「真田道端居士」。
真田 頼昌(さなだ よりまさ、生年不詳 - 大永3年3月15日(1523年3月31日))は、室町時代後期(戦国時代初期)の信濃国の豪族。海野氏庶流の出身とされ、今日では真田氏の祖と推定されている。諱は「頼昌」とされるが、これは後世の江戸時代の元禄9年(1696年)成立の「良泉寺矢沢氏系図」が初出である。戦国期真田氏当主の通字は「綱」であることが指摘されるため、問題点が残される。官......