畠山 義英(はたけやま よしひで)は、戦国時代の武将。畠山義豊の嫡子。畠山義就を祖とする畠山氏総州家の4代当主で義就の孫に当たる。子に義堯。通称は次郎、上総介。明応3年(1494年)に8歳で元服。早い元服は父が同族で尾州家(畠山政長を祖とする)の畠山尚順と対立していて、万が一の場合に備えて行った処置と見られる。明応8年(1499年)に父が尚順に敗れて戦死したことにより家督を継承、領国河内から出奔したが、間もなく庇護者の細川政元が尚順を破ったため河内へ戻った。最初は政元の傀儡として過ごしていたが、永正元年(1504年)頃から赤沢朝経と薬師寺元一の謀反など細川......
畠山 義英(はたけやま よしひで)は、戦国時代の武将。畠山義豊の嫡子。畠山義就を祖とする畠山氏総州家の4代当主で義就の孫に当たる。子に義堯。通称は次郎、上総介。明応3年(1494年)に8歳で元服。早い元服は父が同族で尾州家(畠山政長を祖とする)の畠山尚順と対立していて、万が一の場合に備えて行った処置と見られる。明応8年(1499年)に父が尚順に敗れて戦死したことにより家督を継承、......