瀬田 正忠(せた まさただ)は、戦国時代の武将。通称清右衛門。名はのち「伊繁(これしげ)」。茶人として利休七哲に数えられ、官位に由来する「瀬田掃部」という名乗りで知られる。出自は不明ながら高山右近の推挙により豊臣秀吉に仕え、天正12年(1584年)に小牧・長久手の戦いに従軍している。秀吉の関白就任に伴い、従五位下掃部頭に叙任。天正15年(1587年)の九州征伐、同18年(1590年)の小田原征伐等に従軍。小田原征伐では、徳川家康らが落城させた相模国玉縄城に古田重然と共に入り守備についた。また、天正16年(1588年)に後陽成天皇が聚楽第を行幸した際に、芝山......
瀬田 正忠(せた まさただ)は、戦国時代の武将。通称清右衛門。名はのち「伊繁(これしげ)」。茶人として利休七哲に数えられ、官位に由来する「瀬田掃部」という名乗りで知られる。出自は不明ながら高山右近の推挙により豊臣秀吉に仕え、天正12年(1584年)に小牧・長久手の戦いに従軍している。秀吉の関白就任に伴い、従五位下掃部頭に叙任。天正15年(1587年)の九州征伐、同18年(1590......