沈有容(しん ゆうよう、1557年 - 1628年)は、明朝の軍人。字は、士弘、寧海と号す。南直隷宣城県の人である。兵略を好み、万暦7年に行われた武挙の出身である。しばしば軍功を建てたことにより、福建巡撫金學曾に重用され、福建省の浯嶼、銅山を守ることになった。万暦30年、倭寇が当時、「東番」と言われた台灣を根拠地とし、海上を騒がしていた。沈有容は、21艘の軍船を率いて大いにこれを破り、大員に軍を20日滞在させた。隨行した陳第が台湾の原住民の風土や民情を『東番記』に著している。1604年、オランダ人のウェイブラント・ファン・ワルベイクが澎湖に赴き、現在の馬公......
沈有容(しん ゆうよう、1557年 - 1628年)は、明朝の軍人。字は、士弘、寧海と号す。南直隷宣城県の人である。兵略を好み、万暦7年に行われた武挙の出身である。しばしば軍功を建てたことにより、福建巡撫金學曾に重用され、福建省の浯嶼、銅山を守ることになった。万暦30年、倭寇が当時、「東番」と言われた台灣を根拠地とし、海上を騒がしていた。沈有容は、21艘の軍船を率いて大いにこれを......