樺山 忠副(かばやま ただそえ、天文 (元号)|天文6年4月15日 (旧暦)|4月15日(1537年5月23日)- 弘治 (日本)|弘治3年4月15日 (旧暦)|4月15日(1557年5月13日))は戦国時代 (日本)|戦国時代の薩摩国島津氏の家臣。父は島津氏庶流樺山氏8代当主の樺山善久、母は島津忠良の次女・御隅(島津貴久の姉)。幼名は千代鍋丸、通称は太郎、助太郎。樺山善久の嫡男として誕生、天文19年(1550年)に祖父・島津忠良の加冠により元服し、天文23年(1554年)には岩剣城の戦いに参加した。弘治3年(1557年)、蒲生氏#薩摩蒲生氏|蒲生氏・菱刈......
樺山 忠副(かばやま ただそえ、天文 (元号)|天文6年4月15日 (旧暦)|4月15日(1537年5月23日)- 弘治 (日本)|弘治3年4月15日 (旧暦)|4月15日(1557年5月13日))は戦国時代 (日本)|戦国時代の薩摩国島津氏の家臣。父は島津氏庶流樺山氏8代当主の樺山善久、母は島津忠良の次女・御隅(島津貴久の姉)。幼名は千代鍋丸、通称は太郎、助太郎。樺山善久の嫡男......