榊原 清政(さかきばら きよまさ、天文15年(1546年) - 慶長12年5月2日(1607年6月25日))は、戦国時代の武将。徳川家の家臣。榊原長政の長男。榊原康政の兄。別に孫十郎、七郎右衛門、政長。子に照久。松平元康(後の徳川家康)に仕えて侍大将となるが、病弱の為に弟の康政が陣代となる事が多かったという。後に家康の長男・松平信康の傅役となるが、信康自刃後、後悔の念により職を辞して隠居した。後年、平岩親吉と共に松平信康の供養の為、駿河に江浄寺を建立しているが、その後も体調を崩すことが多かったとされる。天正18年(1590年)、後北条氏が滅亡し家康が関東に......
榊原 清政(さかきばら きよまさ、天文15年(1546年) - 慶長12年5月2日(1607年6月25日))は、戦国時代の武将。徳川家の家臣。榊原長政の長男。榊原康政の兄。別に孫十郎、七郎右衛門、政長。子に照久。松平元康(後の徳川家康)に仕えて侍大将となるが、病弱の為に弟の康政が陣代となる事が多かったという。後に家康の長男・松平信康の傅役となるが、信康自刃後、後悔の念により職を辞......