柳生 家厳(やぎゅう いえよし、明応6年(1497年) - 天正13年(1585年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大和国柳生荘の主、大和柳生城主とも伝わる。柳生宗厳の父。柳生重永の子。柳生氏は大和国の土豪。多くの剣豪を輩出し、菅原氏一門(播磨国の赤松氏と同族ともされる)と自称した。柳生氏の事項が明らかになるのは南北朝時代で、柳生永珍(ながよし)が元弘の変の時に笠置山に篭った後醍醐天皇を助けた(笠置山の戦い)ため、鎌倉幕府から所領を没収。幕府滅亡後、実弟で笠置寺衆徒の中坊源専が恩賞として柳生荘を返還された。以後、柳生の国人として根を下ろす。応仁......
柳生 家厳(やぎゅう いえよし、明応6年(1497年) - 天正13年(1585年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大和国柳生荘の主、大和柳生城主とも伝わる。柳生宗厳の父。柳生重永の子。柳生氏は大和国の土豪。多くの剣豪を輩出し、菅原氏一門(播磨国の赤松氏と同族ともされる)と自称した。柳生氏の事項が明らかになるのは南北朝時代で、柳生永珍(ながよし)が元弘の変の時に笠置山......