柘植 正俊(つげ まさとし、天文17年(1548年) - 慶長16年6月2日(1611年7月11日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、旗本。織田信治の子だが、『寛永諸家系図伝』では織田与四郎行正の子とされる。織田三蔵のちに柘植平右衛門と称する。妻は丹羽氏勝の娘。子に柘植正時、柘植正勝(旗本)。
柘植 正俊(つげ まさとし、天文17年(1548年) - 慶長16年6月2日(1611年7月11日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、旗本。織田信治の子だが、『寛永諸家系図伝』では織田与四郎行正の子とされる。織田三蔵のちに柘植平右衛門と称する。妻は丹羽氏勝の娘。子に柘植正時、柘植正勝(旗本)。