柏木 源藤(かしわぎ げんとう / もとひさ、天正7年(1579年) - 没年不詳)は安土桃山時代の薩摩国島津氏の陪臣で、川上忠兄の被官。後に出石氏を名乗る。一部史料にある柏田源蔵は誤り。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、西軍に属した島津義弘の元へ主君・忠兄に同行し参陣した。その退却戦(関ヶ原の戦い#西軍敗走|島津の退き口)の際に東軍の井伊直政勢100騎が追撃して来たところを、源藤は藪の中から鉄砲を放ち、直政を狙撃して落馬させる大功を上げた(直政はこのときの傷が癒えず、慶長7年(1602年)に死去)。源藤は無事に薩摩国へ戻り、義弘の隠居所のある加治木......
柏木 源藤(かしわぎ げんとう / もとひさ、天正7年(1579年) - 没年不詳)は安土桃山時代の薩摩国島津氏の陪臣で、川上忠兄の被官。後に出石氏を名乗る。一部史料にある柏田源蔵は誤り。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、西軍に属した島津義弘の元へ主君・忠兄に同行し参陣した。その退却戦(関ヶ原の戦い#西軍敗走|島津の退き口)の際に東軍の井伊直政勢100騎が追撃して来たところ......