林家染団治・小川雅子(はやしやそめだんじ・おがわまさこ)は、戦前から戦後にかけて東京で活躍した漫才コンビ。戦前は主に吉本興業(東京吉本)所属。雅子の三味線に合わせてゴリラが顔の染団治が踊る、たわいない珍芸ゴリラ踊りが売りであった。この芸は関東大震災直後に靖国神社で見たゴリラの見世物芸が参考になった。その後多くの漫才師がゴリラや猿を真似るようになったので染団治は「ゴリラ万才家元」と称した。また猿真似をやっていた「エテ公のBちゃん」で売った秋田Aスケ・Bスケも許諾をかねて染団治のもとを挨拶に訪れたという。他にも「紙立て」という三味線の音にあわせて紙や新聞紙を額......
林家染団治・小川雅子(はやしやそめだんじ・おがわまさこ)は、戦前から戦後にかけて東京で活躍した漫才コンビ。戦前は主に吉本興業(東京吉本)所属。雅子の三味線に合わせてゴリラが顔の染団治が踊る、たわいない珍芸ゴリラ踊りが売りであった。この芸は関東大震災直後に靖国神社で見たゴリラの見世物芸が参考になった。その後多くの漫才師がゴリラや猿を真似るようになったので染団治は「ゴリラ万才家元」と......